2018/04/19

「誰もが美術を楽しめるきっかけを作りたい」自分の本心に気づいた田舎フリーランス養成講座

新卒で画家になりました棚村彩加です。

私は大学で人間不信になってしまい、人の目も見れない状態でした。
もう人と関わって生きたくないと思った私は、ただ漠然と好きな人と2人だけでのんびり海の近くで暮らせていけたらいいなぁなんて夢見ていました。
 
でも田舎で海のそばに行っても仕事が無いので、パソコン1つで仕事をする方法を身につけたいと思い、田舎フリーランス養成講座に参加しました。
 
結果、私は海のない都留への移住を決め、人間が好きになり、生きてるのが楽しくなりました。
今回はどうしてそのような経緯になったのかお話したいと思います。
                              

その頃はまだ、「適当」で済ませていた


 
田舎フリーランス養成講座では、受講後に、受講生のやりたいと、講座が提供できるもののミスマッチが起こらないように事前面談がある。
 
面談をしてくれたのは、統括を務める都留市の地域おこし協力隊のならみおさんだった。
 
訳あって人間不信になっていた私は明るく話してくれる彼女のことが怖くて仕方がなかった。あぁ、この人も優しく近づいてきて裏切っていく人だと思った。
だから 適当に思いついた言葉を適当に言った。綺麗な言葉を何と無く並べて面談が終わった。
 

田舎フリーランス養成講座に出会うまでの「私」は


 
生きるのに飽きた、と言うのが私の始まり。
 
1995年6月28日に生を受け早22年、あと何回 桜を見ればいいのだろう。あと何回お正月をお祝いすればいいのだろう、あと何回・・・悲 しいことを経験すればいいのだろうと感じていた。

1月に東京藝術大学の卒展を終えた私は 疲れきっていたのだ。この世での仕事を全て終えた気がしていたし未練もないしそろそろ思い切って死んでみようかなぁ、なんて。
 
山梨県都留市へ行く直前にPCと携帯を初期化してから、ほとんど荷物を持たずに電車に乗った。
死ぬ前に面白いものでも見ておくかということで窓からみる初めての富士山に冷たい視線を送りながら、私の田舎フリーランス養成講座が始まった。
 
電車を降りた場所は何もなかった。
360度が山。ポケモンGOをしてもイノシシしか出な いだろうと思うくらいの田舎だった。

電車に揺られている間プリパラの新曲「リンリン♪ がぁらふぁらんど」を身を滅ぼすほど再生を繰り返していたので、駅に着く頃には携帯の充電が15%になっていた。
困っている私に最初に話しかけてきたのは同じ受講生のタクローだった。

「15パーもあれば一生遊んで暮らせる!」と彼は言った。

何を言っているんだこ いつはと思ったけれど、まぁいつか切れるしいいかということで「リンリン♪がぁらふぁら んど」をループ再生にした。

「なんでもできる」と気づいた1週間


 
講座が始まって1週間、私はある決意をすることになる。
私の黒歴史「顔面で音楽を表現 してみた」をyoutubeにあげるというものだった。

こんな恥ずかしいものを世に発信するなんて絶対後悔するし叩かれるの怖い!と思ったけれど、まぁ死ぬしこれくらいいいかと思っ て投稿した。
社会的に死んだら死んだで生きていこうと思っていた。
 
するとすぐに200回再生を達成した。
「いいね」もいっぱいもらい、承認欲求が満たされるのを感じた。めちゃくちゃ気持ちが良かった。
 
「死ぬぞ~」と思ったらなんでもできるなと思った。
 
それからというもの、ものすごい勢いで発信、発信の毎日だった。
 
自分のブログとポートフォリオサイトを立ち上げ、インスタグラムを始め、「ポコちゃ」というサービスを利用してライブ配信に挑戦し…。
 
ヒィヒィ言いながら周りの勢いについて行くうちに疲れてしまいそうだったけど、メンターのおかげでなんとか乗り切った。
 
田舎フリーランス養成講座では、受講生ひとりひとりに、学びや方向性を定めることをサポートするためにメンターが付く。
私のメンターは「いいね!どんどんい こー!」とひたすらに背中を押し続けた。
 

「死ぬ」と思っていたのに、見えてきた「未来」


 
田舎フリーランス養成講座に参加するまで、参加してからも、闇雲に進んで未来が見えなかったけれど、毎日目標を決めたり、どうして自分がこれをしているのかを考えたりすることで少しずつ進んでいるような気がした。
 
フレンドファンディングサービス「polca」で7万を集めて、ファンの存在がちゃんといることにもしっかりと気づくことができた。
 

 
3週目、私のブログで美大の卒業エントリー「東京藝術大学の学生生活は本当に病むからきをつけたほうがいい」を公開した。
1記事で45万PV、告知したツイートは「2.2万いいね」、「1.4万リツイート」、はてなブックマークは「1000」を超える数を記録した。
多くの人に読まれる記事になった。まぎれもなく「バズ」だった。
 
反響はもちろんのこと、ブログを読んでくれた人からお礼を言われたり応援をしてもらったり、仕事をいただいたりした。
こんなことは初めてのことだった。
 
自分が辛かった経験もコンテンツにできることが嬉しかった。
生きてて無駄じゃなかったんだと思った。

あんなに死にたかったのに、今は笑っている自分がいた


 
ブログは世界を変える力がある、誰かの心に届かせることができると思った。
 
もちろん、一部の人々には叩かれたけれど、「あっ、人間ってこんなことで怒るんだ~超ウケる~~」と笑っている自分がいた。
 
この前まで死にたいと思っていたのに、毎日意味もなく「イエーーーーイ!」とはしゃいでいられた。
本当に楽しかった。
 
講師のひとりが「自分の性格は周りの5人で決まる」と言っていたのが心に残っている。
 
確かに、いままでの生活だと周りにいる5人には根暗な人が多く、その暗い雰囲気にとても影響されていた。
だけど田舎フリーランス養成講座の環境にいるのは、明るくて一生懸命な人ばかりなものだから、自分も頑張ろうと思えた。
いい影響をたくさん受けた。

「死んでいる場合じゃない」


 
日を重ねるごとに、やりたいことが増えた。
最初にカッコつけて背伸びして書いた「やりたいこと100のリスト」を全部消して、新しくやりたいことをリストアップした。
やりたいことがありすぎて死んでる場合じゃないな!と思った。

1カ月を完走し、最終日を迎えて、私は田舎フリーランス養成講座のある環境に居続けたいと思った。
そして、開催場所である都留への移住を決めた。
 
初日に電車で降り立ったときに感じたように、実際のところ都留には何もないのだけど、ここにたくさん人が集まって来るような気がした。
ここが私のスタート地点なのだと思って明日も生きていこうと思った。

田舎フリーランス養成講座を終えての答え


 
私は田舎フリーランス養成講座の統括の前で号泣することになる。

田舎フリーランス養成講座を受講中に人間不信が治ってしまい、裸の自分というものを嫌というほどさらけ出すことになったからだ。
かっこつけず、背伸びをせず、まっすぐ自分と向き合って生きている、だから泣けてしょうがないのだと思う。

自分と向き合う時、どうしてこれやりたかったんだっけ?目的は?どんなものを作りたい? それをやることでどんなものを作りたい?想いをブランディングするには…色々な質問を自分自身に投げかける。

田舎フリーランス養成講座はで立ち止まる時間だった。そこで考えて、考えて。

ようやく答えが出た。
私は 「人が美術を楽しめるキッカケを作りたい」。
 
私は東京藝術大学を卒業して画家になったけれど、美術というジャンルは一般からみたら 高尚なものに見えてしまう。
本来絵を描いたり鑑賞することは楽しいことなのに、知識があ る人だけの遊びになってしまっている。
だからそれを取り除きたい。みんなが美術を楽しめ るきっかけを作りたいと思う。

そのためにコンテンツを作り、そのために発信していきたい。

4月22日、田舎フリーランス養成講座同期のアヤトと棚村超会議を開催することになった。誰かが美術を楽し めるきっかけになれるよう頑張ってみようと思う。

棚村超会議「棚村の今後を考える会」前売りチケットはこちらから https://peatix.com/event/369544

棚村彩加
ポートフォリオ​ http://ayaka-tanamura.net/portfolio/
エッセイ​ https://note.mu/tanamura